Travel Here and There

四国の右下ロードライド2011

このクソ暑い7月に四国で開催される 「四国の右下ロードライド」 というへんちきりんな名前のサイクリング大会。「参加しませんか?」 と誘われ、何か難癖をつけて断ろう、とサイトを覗いてみる・・・とそこに 『開通前の日和佐自動車道を走ります』 と書かれているではないか、、、。つまり、この日を逃すともう二度とこの道を自転車では走れないわけで、となると希少性にめっぽう弱い私は暑さのことなどすっかり忘れて 「参加します」 と返事してしまった。

2011年7月10日、舞台は徳島県美波町(旧日和佐町)。廃校になった日和佐高校 (現在は 「ウェルかめ博物館」 となっている) に約500人のサイクリストが集まった。コースはファミリーコース20km、ハーフコース60km、ロングコース116kmの三つ。自称ベテランサイクリスト、ハーフじゃぁ物足りないでしょ、とロングに申し込んだ。(・・・が、当日、後悔の嵐が吹き荒れる。)

エントリーと開会式を終え、スタート地点の日和佐自動車道の入口に移動しスタート。とりあえず朝も早く涼しいので快調に走る。

日和佐自動車道入口のスタート地点

Migishita_01

自動車専用道路だー
今日しか走れないんだもんねー
と最初は超ご機嫌。

じどーしゃせんよーどーろ

Migishita_02

しかし自動車専用道路は直ぐに終わり一般道に出る。車の少ない緑いっぱいの快適な道なのだがとにかく暑い。陽が高くなるにつれ更に暑くなる。気温の上昇に反比例して気分が下がってくる。

約60kmで一旦ゴール地点を通過するのだが、その時、もうゴールしちゃう?という誘惑に駆られる。とにかく暑いのだ。後半はまず美波町とお隣の牟岐町を結ぶ観光道路 「南阿波サンライン」 を走る。そりゃエアコンの効いた車で音楽を聴きながらドライブしたらさぞかし気持ち良かろうがこっちは無防備な自転車だし。登り坂と暑さ、登り坂と暑さ、の戦いだし。帰りの国道55号もこれでもかー?というくらい延々登り坂が続くし。。。

南阿波サンライン
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・・・と不満ばかり書いてしまったようだが、辛かった分だけ達成感も大きい。登り坂があればその先には必ず下り坂のご褒美も待っている。ゴール手前の約10kmは木陰たっぷりの涼しい裏道を走らせてくれたし、何よりあの炎天下のもと、いつやって来るなかわからないライダーを待って贈ってくれる町の人達の熱い声援にはどれだけ励まされたことか。結局なんだかんだ言っても走り終わってみれば、ありがたかった声援と心地よい疲労感と達成感しか残らないものである。

南阿波サンライン 第一展望台
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やっぱり四国はいいところだなぁ、、、としみじみ感じた自然豊かな四国の右下での一日であった。

iPhoneで取ったGPSのログをルートラボってみました。

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【インカへの道】 アンデスの動物たち

今回の旅行は、たくさんのアンデスの動物たちにも出逢えた旅でもあった。

せっかくなので、ペルーで出逢った動物たちを紹介しておこう。


アルパカ

いろんなところで出逢える 。野生はおらず、ほとんど家畜だそうだ。セーターやマフラーにいちばん利用されている。ガイドさんの粋?な計らいで一度だけ夕食に戴きました。

こんなところで暮らしてます。

Alpaca_01

逃げないでー

Alpaca_02

コルカ渓谷の小さな村マカの人気者、

ペペちゃん。

Alpaca_03

アルパカの赤ちゃん。連れて帰るーっ!

Alpaca_04

毛を刈らないとこんな立派な姿?

Alpaca_05


クイ(テンジクネズミ) ◇

かわいーっと写真を撮った直後、

Cui_01

Cui_02

昼食に出てきて息をのんだ。

Cui_03


ちょっと怖々。

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リャマ

マチュピチュ遺跡にもいます。

Lama_02

Lama_03

チュッ

Lama_01


コンドル

アンデスのコンドルは世界最大の猛禽類

Condor_01

・・・とはいえ、こうなるとお茶目。

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の置物 ◇

侵略してきた "闘牛の国スペイン" に敬意を表している、

といいつつベロを出している。

Cow_01


ビクーニャ
カシミヤよりもて肌触りがよく希少価値がある。一時は絶滅の危機に瀕したが、保護地区が設けられその数は徐々に回復している。

とても高価には見えませんが、、、

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保護に協力し、草をあげました。

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マフラー、約6万円也。

Vicuna_04

こんなお尻でしゅ。

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ビスカチャ
(うさぎみたいだけどリス科だそうです。) 

マチュピチュ遺跡内にて発見。

Viscacha


トカゲ

同じくマチュピチュ遺跡内にて発見。
 

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マチュピチュ村の犬

生きてます。

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ヨダレを垂らして呑気に寝ているだけです。

Machupichu_dog02


インカ犬 (ヘアレス・ドッグ)

銅像にしか見えません。

Inca_dog02

寝ていても人相(犬相)悪し。

Inca_dog01


そして最後に、、、


◇ 日本から連れて行った(連れて行ってもらった?)
  学名:ホモサピエンス

この左側と真ん中のヒト科の気のイイ2頭のお陰で

ペルー旅行が何倍も何倍も愉しいものとなった。

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[ お し ま い ]

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【インカへの道】 石を軟らかくする方法

インカ帝国の残した建造物(多くはスペイン人に破壊され "跡" になっている) を観ていると、インカ人は石を軟らかくする方法を知っていた、という勝手な結論に達した。

クスコにある "12角の石" や "14角の石" 、そして サクワイワマン の要塞跡の巨石の石組を見せられると、なんらかの方法で石を軟らかく、たとえるならば粘土くらいの軟らかさにして形を整え、重ね合わせ、その跡なんらかの方法または時間の経過で元の固い石に戻す、という方法しか考えられないのだ。

適当に石を切って接着剤で重ねた?
 ― いやいや、石と石の間に接着剤の類は使われていない。

器用に削った?
 ― いやいや、石にはそんなに削った跡が無い。

じーっと観ていると軟らかそうに見えてくる。

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12角の石

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扉の脇にある、

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手の込んだ14角の石。

Inca_stone04


Yちゃん曰く、現代人の 「石は固いもの。軟らかくなるはずはない。」 という固定観念が軟らかくすることを邪魔をしているらしい。また、便利な生活を手に入れた一方で現代人が失ってしまった多くの潜在能力の一つだったのかも知れない。

インカ人は石を軟らかくする方法を知っていた、というのはいささか飛躍した話かもしれないけど、何かに行き詰った時、彼らインカ人のことを思い出し、固定観念をちょっと捨てて自分の潜在能力に助けを求めてみるのも悪くない。

サクワイワマンの巨石

見事に納まっている。

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[ つづく ]

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【インカへの道】 高山病にならないために

ペルーに行こう!と決まった後、職場に行ったことがあるという人がちらほら現れた。
そしてその人達が真っ先に口にするのが 高山病 なのである。

高山病
幸いにも私は高山病にはならなかったが、体調が悪くなってしまっては愉しい旅行もだいなしである。

そこでこれからアンデスを目指すあなたのために、ガイドさんや諸先輩方のアドバイス、そして私達の経験を元に、できるだけ高山病にならない方法を記録しておこうと思う。

一、高地では深呼吸(呼吸ではなく 呼吸) を意識する。空気が薄いのだからその分たくさん体内に取入れる努力をするべき。
一、お腹チャプチャプでもたくさん水分を摂る。高地はものすごく乾燥している。知らない間に体の水分がどんどん奪われ、血液の循環を鈍らせるらしい。
一、高地へ向かう時はできるだけ車内等で寝ない方が良いと思う。(寝ると呼吸は浅くなるし水分も摂らないから。)
一、高地では何事もゆっくりとした動作で。早い動作は心拍数があがってしんどいだけ。
一、高地ではお風呂(湯船)には入らない。熱いシャワーも禁物。
一、高地では暴飲暴食は避ける。お酒も控えめに。(低酸素の高地では胃腸の活動が鈍くなるので負担を掛けないように腹八分目で。)
一、高山病の症状、頭痛や消化不良の為にお薬を準備しておく。
一、過去の経験を過信しない。富士登山で平気だったからと言って、ペルーで大丈夫という保証はまったく無し。


高山病には アセタゾラミド(Acetazolamide) という予防薬がある。また漢方薬にも 紅景天(コウケイテン) という高山病予防に効くといわれるものがあり、今回私達はこの紅景天をペルーに着いてからこれを飲み続けてみた。(漢方なので、効いたかどうかは未だにわからない。)

そして高地にあるホテルには必ず酸素吸引機がある。大きなホテル(日本人がよく利用するホテル) なら 「サンソ!」 と言えば部屋まで酸素を運んでくれる。
ちなみに今回、迂闊にも チチカカ湖 3,800m で熱いシャワーを浴びて心臓バクバクになったYちゃんは10分間の酸素吸引を受け、翌日はすっかり回復していた。

徐々に標高に順応できるようなゆったりとした日程を組めれば一番なのだが、ほとんどの社会人はなかなかそんな旅行はきない。
今回私達は リマ(限りなく標高 0m) → ナスカ 600m → アレキパ 2,400m → コルカ渓谷 3,600m → チチカカ湖(プーノ) 3,800m → ウルバンバ 2,900m → マチュピチュ 2,000m → クスコ 3,400m 
という比較的高地に順応しやすい日程だったのが良かったのだが、中にはいきなり日本から クスコ 3,400m に入りそこからマチュピチュ遺跡を見学するコースもあるのでそんな場合は特に要注意。

備えあれば憂いなし。しっかり準備して愉しい旅行にしたいものである。


[ つづく ]

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【インカへの道】 天空都市、マチュピチュ

チチカカ湖畔の町 プーノから、ウルバンバ川沿いの 6,000m級のアンデスの山々に囲まれた 『インカの聖なる谷』 を目指す。
この 聖なる谷 から マチュピチュ遺跡 へ行くのだ。

クスコ から マチュピチュ へ行くのが一般的なようだが、私たちはこの 聖なる谷 にある ウルバンバ という町に一泊しそこからマチュピチュへ向った。この聖なる谷の辺りまで来ると、緑が増え、背の高い木も見られるようになり、昨日までの荒涼とした景色とはかなり変わってくる。

ついに マチュピチュ遺跡 へ行く日がやってきた。
前の夜は、ずっと夢物語だと思っていた マチュピチュ に本当に行けるんだ、となんとなく不思議な気分。
当日の朝は緊張のあまりホテルのどっかにカメラを忘れたままバスに乗り込み、出発直前に取り戻す、という失態も演じた。

ウルバンバ から直ぐのところにある オリャンタイタンボ という町から Inca Rail に乗ってまずは マチュピチュ村 へ向かう。この鉄道路線が今年1月の大洪水で不通になったところ。今でもいたるところで復旧工事が行われおり、マチュピチュ村にも災害の傷跡があちこちに残っている。(雨季でも一日一時間くらしか雨の降らないところなのに、一週間大雨が続いたそうだ。)

Inca Rail

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ウルバンバ川に落ちた線路

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マチュピチュ村 から遺跡までは、葛折りの未舗装道路をかなりのスピードで飛ばすバスで上ってゆく。
30分ほどで遺跡の近くに一つだけあるホテル横にあるバス停に到着。
入口のゲートをくぐり、市街地入口とよよばれる門をくぐり、見張小屋 をめざしてどんどん登っていくと、ジャーン! いきなりあの、写真で見慣れた マチュピチュ遺跡 が目の前に ドカーン と広がったのだ。
すごい、凄い、スゴーイ、本物だー。

この上にある 見張小屋 から望むと、

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ドカーン! と目の前にこの景色が。

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実は マチュピチュ へ行きたい、とは思ったものの、それがいつの時代のなんの遺跡なのかさっぱりわからなかった。いいかげんなものである。
マチュピチュ遺跡はインカ帝国の時代に造られたもので時代はそんなに古くなく、建設が始まったのは 1,450年頃。そして 1,540年頃にはスペイン人の襲撃を恐れて山の向こう、アマゾンの方へ逃げて行ったらしいと言われている。
(結局スペイン人には見つけることはできなかった。)
そのまま約400年、誰にも知られないまま草木に埋もれていた遺跡は 1911年7月24日、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガム氏(インディー・ジョーンズのモデルらしい) に発見され世間に知られるようになった。

マチュピチュはインカ人にとっては、天体観測(占い)をしたり瞑想をしたり、そして王の離宮という特別な場所であった。なので四方を山に囲まれた秘境を選び、ここへ至る道はたった一本だけ、いくつもの関所を設けていた。そして重要な建物は見事な石組と大小の自然石を利用して造られ、水路も整備し、その見事な工法により遺跡として現在に至っている。

当時はどんな風景だったのだろう?

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じーっと眺めると、石の組合せが鳥に見える。

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一日目はゆっくり遺跡の中を歩いたり、景色の良いところでボーッと座ったり。
二日目は インカ道 を歩いて "インティプンク (太陽の門)" とよばれているところまで歩き、遠く離れた上からマチピチュ遺跡を眺めた。

インティプンクへ続くインカ道

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インティプンクから眺めたマチュピチュ

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遺跡は想像していた以上に雄大で神秘的なところだった。かと思えばリャマがあちこちでのんびり草をむしゃむしゃ食べている。そんな遺跡の中を観光客は自由に歩くことができ(時々監視員にピーッと警告の笛を吹かれている人もいたが)、お気に入りの場所に座ったり寝転がったりしてそれぞれの時間を過ごすことができる。
そんなこともひっくるめて 『プロが選ぶ世界遺産』 堂々の一位に輝いたことが納得できる マチュピチュ であった。


[ つづく ]

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【インカへの道】 チチカカ湖遊覧

たしか地理の時間、
世界一深い湖は "バイカル湖"。
世界一大きい湖は "カスピ海"。
世界一高地にある湖は "チチカカ湖"。
と習った記憶がある。
また、お父さんとお母さんがいる湖はどーこだ?
なんていうなぞなぞもあったけ。

一番ほにゃららなところに行ける、とこっそり愉しみにしていたのだが実は違った。チチカカ湖(標高 3,810m) は "(動力エンジンを持つ)汽船などが航行可能な 面積1,000平方km以上の湖としては世界一高地にある。" のであって、純粋に世界一高地にある湖では無かったのだ。
(ちなみに世界一高地にある湖はチベットにあるナム湖(納木錯) で標高 4,718m にあるだそうだ。)

とは言え、富士山より高いところに琵琶湖よりもずっと大きな湖があるのだ。湖の真ん中で空を見上げると、気のせいか空が近いような感じがする。

チチカカ湖 はペルーとボリビアにまたがっている。
湖にある島々にはケチュア族やアイマラ族、ウル族といった、先住民系の民族が居住しており、初代の王さまがこのチチカカ湖にある 太陽の島 Isla del Sol に太陽の子として降臨したのがインカ帝国の始まり、という伝説もあるインカの人々にとっては聖なる湖なのである。

聖なる湖、チチカカ湖の朝陽

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まず、チチカカ湖畔にある プーノ という町から船で約15分のところにある、トトラ(イグサに近い姿のカヤツリグサ科の植物)で造られた浮島が集まる ウロス島 を訪ねた。浮島へ降りると、さすがトトラを何層にも重ねて造られた島だけあって、足の裏がふかふかしている。
島の造り方、生活などを説明してもらい、島の人達が美味しそうにかじっているトトラをかじらせてもらったあと、民族衣装を着せてもらってご機嫌さんである。

ウロス島 (トトラの浮島群)

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私達は 湖のハート という名前の島へ上陸

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せっせとトトラを運ぶ

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カラフルな民族衣装

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そこからさらに片道3時間くらいのところにある タキーレ島 へ向かう。途中、湖の上で漁師さんから今日のお昼の食材、鱒(マス)を仕入れる。このチチカカ湖畔にもインカ時代の段々畑があちこちに残されており、美しい風景だ。

島へ近付くと、遠くにボリビア側の頂きに真っ白な雪をかぶった標高6,000mを超える山々が見えてきた。(が、標高3,800m地点から観るのでそんなんに高くは見えない。)

タキーレ島

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タキーレ島にはケチュア族の人達が暮らしている。ここでも島の生活や織物・編物を見せてもらった。織物は女性がするもの、編物は男性がするもの、という風習だそうだ。
立っている人がいるとすっ、と椅子を運んできてくれたり、体調が悪くなった人を熱心に介抱したり、とペルーの人達の心優しさにも触れた船旅だった。

島の住宅兼レストラン

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最後は音楽隊の演奏でお見送り

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[ つづく ]

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【インカへの道】 コンドルの棲む谷、コルカ渓谷

ナスカ から アレキパ という町(これも世界遺産の町) へ移動する。右には遥か日本まで続く太平洋、左には木一本生えていない荒涼としたアンデスの山々、、、を眺めながらの長い長い約500kmのドライブだ。 この アレキパ から地上最大の猛禽類といわれる "アンデスのコンドル" を観察することができる キャニョン・デル・コルカ(コルカ渓谷) へ向かうのだ。
(私にはこの移動が旅行中で一番辛かった。)

荒涼とした景色のハイウェーをひたすら南下

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白い町、とよばれる アレキパ

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コルカ渓谷 は、ガイドブックには数行しか記載されていなかったので何の期待もしていなかったのだが、個人的には今回の旅行で一番、と言えるくらい景色が本当に素晴らしい。
アメリカのグランドキャニオンよりも深い深い渓谷に、インカ時代の段々畑(今でもちゃんと利用されている)があちこちに残ってる、それはそれは今までに見たことのないとても美しい風景なのだ。

インカ時代の美しい畑

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この渓谷にはカシミヤよりも高級とされるラクダ科の動物、ヴィクーニャ の保護地区もある。(ヴィクーニャのマフラーは木箱に入れて売られており、1枚約 6万円也。)
また途中には パタパンパ と呼ばれる峠があり、標高は4,910メートル。私の人生最高到達地点記録更新である。

ヴィクーニャはこんなところで暮らしている。

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パタパンパ 標高 4,910m。 歩くだけで息苦しい。

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コルカ渓谷ヤンケ というとても小さい町にある コルカ・ロッジ というホテルに泊った。このホテルもガイドブックには欄外に簡単な説明しか載っていなかったので何の期待も無かったのだが、これがまた本当に素晴らしいロケーションにある素晴らしいホテルなのだ。
(せめて2~3日はゆっくり滞在したくなるホテルだが、駆け足の旅の悲しさ、1泊しかできず。)

コルカ・ロッジ

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早朝、コンドルが観察できるという展望台 "クルス・デル・コンドル" へ向かう。
(コンドルは午前中、上昇気流に乗って活発に活動するそうだ。)
既にカメラを構えた大勢の観光客で賑わっている。
ここでもガイドさんから 「コンドルは野生なので必ずしも観られるとは限りません。」 と釘を刺されていたが、幸いにも数羽のコンドルが頭上を飛び回る姿を観ることができ、、その姿はなんとも優雅でなんとも自由であった。

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空ばかり見上げていると、Kちゃんが直ぐ近くの岩の上にたたずむ羽の色から判断すると親子と思われる2羽のコンドルを指さした。(親コンドルは頭は白く羽が黒いが、子供のコンドルは全体的に茶色である。)
飛ばないかなぁとしばらく眺めていると、親コンドルが飛ぶように促し、子コンドルは怖い怖いヤダヤダ飛ばない、という面白い場面に遭遇。あんな高いところからいきなり飛びなさいって言われてもそりゃ怖いよね。怖い、怖い。

そろそろ飛ぶ練習する? ヤダ!

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ほらチョット飛んでみなさいよ。 やだ、ヤダ!

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そんなこと言わないで飛んでみなさい。

ギャーっ やめてー!

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[ つづく ]

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【インカへの道】 ナスカの地上絵

今回のペルー旅行のたくさんあるイベントの最初にやってきたのが ナスカの地上絵 である。

地上絵は紀元後から800年頃に栄えていたとされるナスカ文化の人達によって、"描かれた" と考えられている。
何のために? どうやって?
いろんな説があるが、どれも確証はなさそうだ。
地上絵は、白い大地の上を覆った黒い砂利を幅1~2m、深さ30~40cmほどどけて描かれているだけ。一年を通してほとんど雨の降らない気候のお陰で現在までこの地上絵は残っている。

ナスカ に着いた夕方、この地上絵の保存に生涯をささげたドイツの数学者、マリア・ライヘ女史の建てたミラドール(展望台)に上り "木"と "手" の地上絵を観察。日が落ちた後だったのでちょっと見辛い。けれど、テレビや写真で遠い世界の映像だと思っていた地上絵をこの乱視と最近やや老眼気味の自分自身の目で観ることができるなんてね。

このミラドールは "パンアメリカン・ハイウェー" という北米のアラスカから南米大陸最南端の ティエラ・デル・フエゴ という町をを繋ぐ約48,000kmの道路脇にあり、この道路建設の時はまだ地上絵の重要性が認識されていなかった為、残念ながら一部の地上絵はこのハイウェーに消されてしまっている。


夕暮れのミラドール

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次の日はいよいよセスナ機に乗って空からの観察。
人生初のセスナ機体験である。

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12人乗りのセスナ機に乗り込み、あっという間に空に舞い上がる。気持ちも舞い上がる。
クジラ、台形、宇宙人、サル、犬、コンドル、クモ、ハチドリ等を順に周り、最後は昨日立ち寄ったマリア・ライヘ展望台を観て空港に戻る約30分のフライト。

パイロットがカタコトの日本語で 「マエ、マエ、サル、サル」 となどと解説してくれる。そしてしょっちゅう 「ハレマシター」 い言うので、晴れてるのは言われんでもわかるわい、と思っていたら、「ミギ、ミギ、ハネノシター」 と観る方角を示してくれていることにずいぶん経ってから気がついた。あぁ、羽の下、でしたか。失礼。

セスナは左右両方の席の人が公平に観られるように右へ左へ旋回する。ガイドさんから 「地上絵はプロのカメラマンが撮った映像や写真で観るのが一番ですからあまり期待しないでくださいね。」 と言われていたのでその通りあまり期待をせず、この手の乗物に弱い私は絶対に吐く、と覚悟して乗ったのだが、なんのなんの地上絵に見蕩れている間にすっかり酔うことを忘れていた。

ちなみに、ナスカ暦というのがあるらしく、そのナスカ暦では蠍座(私)はサルでした。

サルの地上絵。私の守り神?

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[ つづく ]

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【インカへの道】 ペルーへ行こう

あれは何年くらい前のことだろう。
NHKの 『プロが選ぶ世界遺産』 というようなタイトルの番組を観ていて、その栄えある一位に輝いたのが マチュピチュ遺跡 だった。

それ以来、単細胞の私の一番行きたい場所は マチュピチュ になった。
しかし行ってはみたいけれど場所は南米のペルー。日本からはとてもとても遠いところにある。

同期のKちゃん・Yちゃんに何度となく冗談半分本気半分で 「マチュピチュ行かない?」 と誘ってみる。
「行かへん。」 と返事はいたってあっさりしたもの。やはり マチュピチュ へ行くのは夢物語だろうか...

ところで、私の勤務先には節目の年に特別な休暇を取ることができる リフレッシュ休暇制度 というものがある。そして長年悪さもせずに機嫌良く勤めると、いつもの倍以上の休暇とおまけに旅行券までくれるのだ。素晴らしい。その素晴らしい年が今年、2010年だった。

この2010年のリフレッシュ休暇を利用すれば遠い遠い南米までだって行けるかも知れない。
私の夢物語は妙に現実味を帯びたものとなり、数年前からことあるごとにKちゃん・Yちゃんに 「リフレッシュ休暇はマチュピチュ行こうよー。」 と念仏のように唱えることとなった。

そして2010年4月。
Kちゃん・Yちゃんを説得することに見事成功し、向こうの乾期(冬)の終りにあたる9月にペルーへ行くことが決定したのである。

やったーっ 
マチュピチュだ、 マチュピチュだーっ!

[ つづく ]

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白山スーパー林道サイクリング2010

ヒル・クライムのイベント? 
  行かない、絶対に行かない。
月末前に仕事休まないと行けないの?
  あー 無理無理、絶対に無理。

と断ったものの、
「自動車専用の有料道路だから一年でこの日一日しか走れないのよ。」
の一言に即効で
「行く!」。
・・・つくづく限定モノに弱い豆腐のような意志である。

今年でまだ2回目の 「白山スーパー林道サイクリング大会」 とは、合掌造りの建物が美しく保存され世界遺産に指定されている岐阜県の白川郷から白山国立公園を超えて石川県の白山市までを結ぶ有料道路 "白山スーパー林道" を自転車で走るイベントである。
(石川県側まで下ってしまうと帰りが大変なので(?)、大会は岐阜県側の標高1,445メートルにある三方岩駐車場までの片道のみ。)

雪深い地域の山越えの道路なので冬の間(概ね11月11日~5月31日まで)は閉鎖されている。そして春が来て除雪作業が終わったあと、開通するまでのある一日だけ、粋な計らいで自転車で走らせてくれるのだ。

2010年5月29日(土曜日)、「第2回白山スーパー林道サイクリング大会」 が開催された。
今年は春以降の例外的な寒さや季節外れの積雪の影響で除雪が間に合わず。(よって 岐阜県 ⇔ 石川県 の通り抜けも延期中。)
大会のコースが途中の標高1,200メートル地点にある蓮如茶屋までの約10kmに短縮されたのはちょっぴり残念ではあったけれど、一年に一度しかチャンスがない絶景の 白山スーパー林道を走る! というメイン・ディッシュはもちろんのこと、
早朝の高山をポタリングしてみたらしだんごを食べる。
五箇山の、菅沼合掌集落 や 相倉合掌集落 を自転車で巡る。
世界遺産の町白川郷の合掌造りに泊り美味しい食事を戴く。
その合掌造りの囲炉裏端で談笑する。
金沢の老舗のバー 「倫敦屋酒場」 で旨いGuinnessを戴く。
おまけにパルマ産の生ハムも戴く。
北陸鉄道金名線の線路跡を利用したサイクリングロード 「手取キャニオンロード」 を走る。

・・・等など、サイド・メニューが予想以上に充実したとても愉しいイベントとなった。

いざ、スタートします。


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まだまだ登ります。


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登ってきた道がヘビのように見えます。


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ゴール。まだ雪が残っています。


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こんなところに泊ります。


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またいつの日か、岐阜県側全線を走破できますよーに。

いつの日か石川県版 「白山スーパー林道サイクリング大会」 が開催されますよーに。

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